木村鉄工所と一宮大仏

エピソード

当社創業者の木村小左衛門は明治39年より一宮市内で鉄工所を営んでいました。昭和9年創業者の長男(20歳)が病気のため死亡。長男を亡くした悲しみを乗り越えるため創業者は大仏の建立を決意しました。5年の歳月をかけ創業者と夫人の手により大仏と2体の観音像が完成し、一宮市内の九品寺公園に奉納されました。そして三尊大仏と呼ばれていました。

その頃の世界情勢は第二次世界大戦が勃発しており、翌々年には太平洋戦争が始まりました。戦争が激しくなるにつれ金属類回収令が出され、昭和18年には大仏も供出されました。その直後、創業者の三男がニューギニアにおいて戦死。昭和20年夏には一宮空襲があり、市内の多くの民家も焼失してしまいました。そしてその18日後に太平洋戦争は終戦を迎えました。

昭和22年、供出され行方が分からなくなっていた大仏の頭部が名古屋で発見され、創業者の元に返還されました。これを受け創業者は戦没者の鎮魂や恒久平和の願いを込め、大仏の再建に取り掛かり2年の歳月をかけて完成させました。この大仏は姿を消しながらも胴体を造り直して新しく生まれ変わったため新生大仏と名付けられました。

昭和30年新生大仏は犬山の成田山名古屋別院に奉納され開眼供養されました。尚、戦火を免れた2体の観音菩薩像は昭和26年谷汲山華厳寺に奉納されています。

このエピソードは2012年にICC(一宮ケーブルテレビ)が『一宮の大仏様』というタイトルでドキュメント番組を制作し放映されました。

成田山大聖寺に鎮座する大仏様(番組オープニング画面より)
成田山大聖寺に鎮座する大仏様
(番組オープニング画面より)

昭和15年頃の九品寺公園の大仏様と観音様
昭和15年頃の九品寺公園の
大仏様と観音様

昭和9年、大仏様の制作が始まりました
昭和9年、大仏様の制作が始まりました

制作と中の大仏様と弊社創業者、木村小左衛門
制作途中の大仏様と弊社創業者、
木村小左衛門

九品寺公園に奉納した時の大仏様と創業者
九品寺公園に奉納した時の大仏様と創業者

第二次世界大戦後、新たに大仏様を制作している様子
第二次世界大戦後、
新たに大仏様を制作している様子

犬山成田山に大仏様を運んでいます。木村鉄工所のマークの法被が判ります
犬山成田山に大仏様を運んでいます。
木村鉄工所のマークの法被が判ります

成田山へ奉納され、開眼供養されている様子
成田山へ奉納され、
開眼供養されている様子

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